こころとからだの鏡の法則

前回、『からだとこころはリンクするって本当?』の記事の内容にもあるように、中医学の目線では感情から引き起こすからだの不調との向き合い方のお話をしました。

なんか最近寒いですね。
こんにちは
アンティエールの三田です。

からだの不調で症状をどうにかしたくて、治したくて行動を起こすと思うのですが、大体が対処療法になり、症状を改善させることに目を向けからだは楽になってきますよね。
原因が部位の使い過ぎや外傷なのであれば確実にわかりますが、対処療法をしているにも関わらず、ずっと痛みが長引くだとか、原因無く膝が痛くなってきた、腰が痛いなど、対処してても改善しないとなれば、どう受け取りますか?

治療方法が悪いって思いますか?

腕が悪いって思いますか?

こころとからだがリンクすることが何となく理解できるようであれば、お気づきでしょうか?

その不調や痛みは自分が起こしているってことを・・・。

今日はちょっとスピリチュアルなお話をしてみようと思います。

カウンセリングで症状などをお聞きする中で、何でその症状が出たのか?
いつ頃からなのか?
いろんな角度で深堀りしていくと、幼少期の話になる時があります。

いろんな理由があって思いがあって、リラクゼーションを求めてロミロミに来られます。
目的に対処をするには掘り下げて広げて全体を見てみると、
本人には気づかれていない?
気づいてるけど、認めたくない?
って思うような言動が見受けられます。

人は生きてると多少なりともキズをもっていたりします。
もしかすると、子どもの頃から理由もないのに苦手(嫌なものこと)など、キズを持って生まれて来たりします。
子どもの胎内記憶に親を選んで生まれてくるというのがあります。
科学的根拠がないので断言できないものかもしれませんが、もしそうならば、生まれてくるとき、自分と同じキズを持った親のところに生まれてきます。
キズの深さが深いと、キズの深い親を選んで生まれてきます。

よく、子育てをしていると自分を見てるようでイライラするとか怒ってしまうとか、悲しくなったりってありませんでしたか?
反対に、大人になっても親に腹を立てたり、嫌な思いなどで嫌いになったりしていませんか?

私にはあります。
ありました。
それは自分自身の中に、キズの種があって、その種をいろんな出来事を通して親が見せてくれています。

なので、本当はその出来事で自分のキズを認識し、キズに対して対処すればいいのですが、そこが難しいところで、なかなか気づかないのがほとんどです。

目の前に起こっている現実は、自分の内面を投影しているものであって、本当は、人は外側の世界を鏡として自分の内側を外の世界として見せています。
これが嫌だと、嫌なことだと、苦しいと思うのであれば、自分の内側を変える以外、方法はないのかもしれません。

鏡の法則の根本的な意味は、外側の世界は自分のこころが作り出しているってことに気付くと、あれよあれよと苦しさや嫌だと思っていた現実が変わってくるのです。

まさかと思うでしょうが、気づいてみるとわかります。

今、目の前に写しだされている世界は、誰とも同じではなく、自分にだけ見える世界です。

自分のこころが悩みや先入観やトラウマで歪んでいたら、歪んだ鏡の中を覗き込んでいるのと同じです。

こころのあり様によっては、同じことが起こっても、目の前の出来事は真逆に見えます。
例えば、いつも飲める水がコップに半分入っていたら『まだ半分ある!』と思えるのに対して
砂漠のようないつでも水が飲める状態ではないところにいると『半分しかない!』と絶望的な気分になりますよね。

人は鏡のように近い人や目の前の人を真似ます。

嫌悪感を抱いている人は、自分を鏡のように真似て、写し鏡に写っている嫌いな人物は自分を写しているのです。

なので、良い意味でも悪い意味でも、自分の願いは叶っているというのが、鏡の法則が伝えたい事。

他人は自分の鏡でもある

鏡の法則とは、他人は自分の鏡でもあるってことです。

隣にいるお友達や家族は自分自身でもあり、自分のこころを写し出しています。

嫌いな人は、自分自身の嫌な部分を見せつけてくれる存在なので、似た者同士の状態になります。

自分自身に同じキズや嫌な部分があるのを潜在意識で気づくから、鏡の法則では自分の側に自分の過去があり、
自分が過去にしたことを自分にしてくる鏡の跳ね返りが起こるのですね。

『自分のしたことは跳ね返ってくる!』が我が家の教訓です。笑

鏡の法則によって悩み苦しい思いをし、感情が振り回されて不調や痛みや違和感などを覚えるのかもしれません。

ホ・オポノポノの回復法を使い、そのキズを持っていることを受け入れて認め、そのキズをキズと捉えなくなれれば、自分自身を治癒し、自分で起こした不調は自分で治すことができることを知って感じてほしいと思います。